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左、会津街道、右、奥州街道の分岐点にあった 音吉っぁんラーメン |
| みちのく街道分岐点 江戸時代末期(嘉永20年頃)、弊店初代店主儀三郎が宿場 町であった郡山の奥州街道と会津街道との分岐点に「富多屋」 という名前のそば屋を開きました。ちょうど街道の三角点であっ た事から「さんかくそば屋」と呼ばれ、街道往来の人々に親しん でいただいておりました。 三代目音吉っぁん 明治時代末から大正時代の初めに、三代目の音吉(通称お ときっぁん)がラーメン(当時は、支那そば)の研究をはじめ、店 のお客様に食べていただいたところ、大変おいしいとの評判に なりました。そこで仲間のそば屋さんたちが、自分の店にわけ てほしいという事になり、本格的にラーメンを造りはじめ、改良に 改良をかさねて、音吉流のラーメンが完成しました。ところが評 判が良かったために、造るのがまにあわず、音吉の店「富多屋」 で売る麺がなくなり「幻の支那そば」といわれました。 弊社では、音吉流のラーメンをさらに改良しながら現在もなお 造り続けております。 こぼれ話 ![]() 明治時代には店の前の街道を材木を運ぶ荷馬車が 行き来していました。音吉はこの馬のためにと、麺を ゆでたお湯を大きな酒樽に溜めておき店の前で馬に 飲ませてやっていました。味があり美味しいので、荷 馬車が店の前を通りかかると馬がそのお湯を飲まな いと動かなくなる程でした飲み終えた馬は、また元気 に荷車を引いて行ったと云うことです。 TOP |
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